武蔵国の藤原氏

新選組が大好きな飲む打つ買うの三拍子「武蔵国の藤原氏」のブログ

旅打ち 佐野編を控え 藤原を辿る

前回、

旅打ちの舞台が佐野に決定し、

わたくしめと同じく「藤原」とゆかりがあるということで、

「藤原」とはなんぞや?

 

いやね、

調べたことねえわ。。。

 

簡単に調べてから

行ったらんかい!

 

つーことですわ。。

 

いやー、

この歳になって(この歳は年齢の歳であり、土方氏の愛称ではございません)

自分の苗字について調べるとは。。

 

まずはさ、

中臣鎌足天智天皇より賜った「藤原」の姓が

子の藤原不比等の代に認められたと

天下のウィキペディアにある。。。。。。。

 

 

 

はま。。。。。

 

 

なるほど。。。

 

 

奈良時代に「南家」「北家」「式家」「京家」に分かれ

平安時代に皇室と婚姻関係を結んで摂関政治を行った。

鎌倉時代以降は「近衛」「鷹氏」「九条」「二条」「一条」の家名を名乗った。

 

江戸時代の朝廷においては

大臣就任資格を持つ公卿17家系のうち14家系が藤原氏

 

はま。。。。。

 

17のうち14????

皇家と藤原家の二つだけの血筋が支配階級をほぼ独占。。。

 

 

すげえな。

82%??

 

初代・花の慶次の継続率より2%も多いではないか。。

ガンダム・ラストシューティングより1%低いではないか。。

初代パチスロ北斗の拳の最高継続率より・・・・って

 

そんなことはどーでもよろし。

 

82%が単発で終わるなんて事もよくある話で。。。

探すのをやめたとき、見つかることもよくある話で。。(陽水センセ)

 

 

家紋は「下り藤」

 

http://kisetsumimiyori.com/wp-content/uploads/2016/10/a45df6fc37c0123857bc3d6974fb8227.jpg

 

新選組島田魁近藤勇の家紋を下り藤と記しておりましたな。

 近藤も藤原姓の一つでございます。

 

明治には大久保利通大村益次郎が公文書に姓と諱を残す。

 

いやね、

歴史ある苗字なんだけど、

公文書以外では「藤原」を名乗ってない上に、

今の「藤原」は「親戚かゆかりのある人間」

なんて書かれてたりで、

わたくしめの様な、

暇さえあれば酒呑んで、ギャンブルして、

そんな人間は

「親戚かゆかりのある人間」

とも関係がないのではなかろうか。

 

生粋の「藤原」さんに申し訳なく思う次第でありますが。

 

ともあれわたくしめはこの、

「藤原」

大変気に入っておりまする。

 

ちなみに今回の旅打ちの舞台の主役「佐野氏」

藤原四家

藤原北家

足利氏

佐野氏となっていて、

 

佐野氏一族(下野佐野)

藤原秀郷を祖とすることのみ共通し、系図上での繋がりは皆無とのこと。

 

でもさ、、

 

同じ苗字・同じ名前なんて

なんとなく他人の気がしなくて、

それだけでなんか友達のような感じがしちゃうのは

わたくしだけでしょうか。

 

ちなみにわたくしめの友達に

 

 

「藤原」は・・・・

 

 

 

おりません。