新選組局長 近藤勇 ~板橋へ初の来訪
武蔵の国の藤原氏でございます。
4月21日(日)
ご報告でございます。
皆さんご存知の通り
4月25日は近藤勇の命日であります。
※ちなみに4月5日はカート・コバーンの命日でございましたな。
駅を出るとすぐに・・・・・
いやー愛されているんですね。
流山からここまでの近藤さんを思うと・・・・涙です。
東京三鷹の龍源寺(出身地)
そして今回訪れた
東京板橋の寿徳寺境外墓地(永倉新八)
今回の板橋の近藤勇墓所には
近藤勇の胴体が埋葬されているわけでございます。
さあいざ!!
駅から意気揚々と歩き出すとすぐに・・・・
近い!!
駅前のロータリーを左に廻り
横断歩道を渡ってすぐでした。
この日4月25日の命日を控え・・・
毎年行われているようです。
恥ずかしながら初めて知りました。
通りかかる人が手を合わせている姿を何度か目撃しました。。。
うーん。
なんか切なくなってきます。。。
なんかここで写真を撮っているのもどうなんだろ・・
ここではスマホはいらないな。。。
近藤さん。大変失礼しました。
・・・じゃあ行こうかな・・・
ふと入り口でハッピをお召の先輩方がテントの下でなにやら準備に忙しい様子。
ブルーとオレンジの本が積まれていて・・
「おはようございます!この本って?」
「ああ、これは近藤勇が流山からここにくるまでの
経緯やなにかをまとめたものですよ」
「いやーすごいですね!」
「よかったら手にとって・・・」
購入いたしました。
文集は寿徳寺が出しているものみたいです。
どんな内容かとても楽しみです!
そうして板橋をあとにしたあと
池袋で刺身と瓶ビールをやりながら
あぁ、新選組って最高だなと・・・
しみじみ思うわたくしめでございます。
永倉、原田と別れ
土方もこの頃はほとんど本隊にはいなかっただろうし
新選組がこの先どうなっていくのか
新選組の未来を一人で考えていたのかと・・・
近藤勇は流山で投降したと伝えられていて
その事実は変わらないのかもしれないけど
近藤勇という人物が投降を選んだって事は
何か本当に重要な理由があったんじゃないか・・・
そう思えてなりません。
※一説には隊士を無駄死にさせない為といわれております
この頃は大久保大和を名乗っております
だって虎徹で最期まで戦うイメージしかないから。
刀の戦は終わったと言われても
最期まで白兵戦では相手を恐怖に陥れた新選組。
その未来はとても切ない結末になるのだけれど。
この近藤勇の決断には敬意しかありません。
義を取り生を捨つるは吾が尊ぶ所
快く受けん電光三尺の剣
只に一死をもって君恩に報いん